Club Silencio

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【ネタバレ感想】『君の名前で僕を呼んで』評

「侵略者が来た」

 

そう、エリオは見てしまった…

 

それがネックレス・ペンダントなのか、オリヴァーの胸板なのかは分からない。けれども、中世フランス小説の王女と若い騎士の物語のように、”何かを感じてしまった”のだ。それは紛れもないエリオからオリヴァーへの恋心である。しかし、その「知って欲しいから」という想いは、他ならぬオリヴァーからエリオへの恋心でもあった。

 

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1983年の夏、北イタリアの避暑地のどこか。この17歳(エリオ)と24歳(オリヴァー)の青年の、初めての、生涯忘れられない恋という『君の名前で僕を呼んで』は、”感傷的な運命(*)”でしかなかった。

(*オリヴィエ・アサイヤスの『Les Destinees Sentimentales』の邦題を引用)

 

そう言えるのは、やはり、この恋には”限りがある”というところにある。

オリヴァーは、エリオの父親でもある大学教授の助手として、彼らの家族と共にひと夏を過ごす。つまり、どれだけ激しい恋に落ちようとも、季節が廻れば、別れは来てしまうのだ。それは青春の一定義としての「何かが始まり、何かが終わる瞬間」が”限りある運命”でしかないために、より”感傷的”になってしまうのだろう。

 

そのセンシティブな滅びの美学。 

それに対して”彫刻を海から引き上げる”というポエティックな行為によって、再生のイメージは呼び起こされる。それはウパニシャッドの「一なる意識の開かれた大海は(中略)無限の意識の大海として創造された」という言葉の通り、”水”というものが”意識”の象徴として捉えられるだろう。つまり、完璧な美を備えている神々の姿をとった(ギリシャ)彫刻が、意識(海)から引き上げられるということは、古代ギリシャの”Greek love”という同性愛を指す(ここでは言葉というよりも)志がエリオとオリヴァーに呼び起こされたに等しい。その後の展開を見てもそう読んでいいだろう。

 

因みに、『君の名前で僕を呼んで』に於いて、水(という意識の象徴)は多用されるモチーフである。"泳ぐ"という行為に言及すれば、映画史で見てもそうであるように、その人が地に足がついていないということを象徴しているだろう。もちろん喪失感だけではなく、高揚感であっても。

 

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そうして冬がやって来ると同時に、"感傷的な運命"は終わりを告げる。

 

そう、オリヴァーは結婚してしまったのだ!

エリオは暖炉を見つめる。感傷的を超えて、静かに感情が崩壊する。

 

エリオは永遠を求めた。それはオリヴァーも同じあるだろう。しかし、文通にもあった通り、大人にならなくてはいけない。つまり、夏から冬への時間の流れは、青年から大人への成長の流れと重なる。特に結婚という出来事は、オリヴァーを決定的に大人へと変えてしまうだろう。だからエリオは大人になるために、オリヴァーとのひと夏の思い出を燃やしているのか。

 

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しかし、こう言う。

 

「何ひとつ忘れない」と。

 

思い出を燃やす=大人になっても、スフィアン・スティーブンスが「Mystery of Love」で歌うような郷愁があるいうこと!

劇中であったブニュエルとリンクレイターへの言及。 前者は『哀しみのトリスターナ』に於けるトリスターナのフラッシュバックが、そのままエリオにあたるだろう。後者(リンクレイターに関しては実名を出してないが、『ビフォア』シリーズのようにしたいという言葉からもそう読めるだろう)は『ウェイキング・ライフ』に於ける”聖なる瞬間”の「映画は現実の再生」が引用されていた。つまり、エリオは思い出を燃やすことで、この”感傷的な運命”でしかない現実をフィルムとして焼き付けているのではないだろうか。

 

そこへ『Call Me by Your Neme』とタイトルシーンを置くのは、まさにエリオの人生をフレームに収めてしまったと言えるだろう。そう、永遠となったのだ!

 その後、母親に「エリオ」と呼ばれる。振り返るということは、現実に立ち返るということ。そこで父親の言葉がどれだけ響くことか。だからオリヴァーとの恋は、エリオのイニシエーションに他ならない。

 

Blessed be mystery of love.

 

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