Club Silencio

夢と現実の魔境からお届け

【ネタバレ感想】『べー。』評

 

「結局のところ、犯罪への絶望的な、熱烈な呼びかけに過ぎない」 

 

これはかのルイス・ブニュエルが『アンダルシアの犬』に寄せたコメントの抜粋である。阪元裕吾監督の『べー。』には、それに等しいと言っていいほどのアヴァンギャルドな体験をさせてもらった。

 

それはアバンタイトルに集約される。

画面に登場する池田という男。彼の存在こそが、『べー。』という映画のすべてと言っても過言ではない。

 

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「すいません、すいません!あの、この付近に郵便局ってありませんか?」

 

横切った女性にそう問いかける池田。しかし、返答する間もなく、彼はその女性を殴り殺す。親切心を逆手に取ったスキャンダラスな映像!まさに、言葉を借りれば、「観客がおのれのヴィジョンに耐えられないように演出されている、非娯楽的映画」のそれではないか。

 

とはなるが、池田は決して『べー。』に必要な存在とは言い難い。なぜなら、彼の登場シーン(アバンタイトルともうワンシーン)を削ろうが、『べー。』という映画は成立してしまうからだ。しかしながら、先述の通り、彼こそが『べー。』という映画のすべてであると言えるのは、彼は”衝動によって行動を起こす登場人物たちの役割”を体現してしまっているからだ。

 

つまり、池田は監督や脚本によって動いてはいない。彼は”殺人”という衝動によって行動を起こす登場人物であるのだ。それは”結局のところ、犯罪への絶望的な、熱烈な呼びかけに過ぎない”からして、池田という男が、後の祐樹・千春カップルの顛末へ影響を与えているとしか考えられない。そう、これは池田という男の存在について説いた時に、不必要に見えて、『べー。』という映画のすべてであると思わされる。だからこそ、やはりこれは観客への”犯罪への絶望的な、熱烈な呼びかけに過ぎない”とも言えるのか。

 

最後にもうひとつブニュエルの言葉を引用したい。

 

ポエジーの源である不合理なものの根源と混ざりあう。映画は人間の無意識の感覚に向かっており、だから普遍的な価値を持つ。

 

『べー。』 の結末を振り返ってみても、無理心中を理解できなかった千春が、瀕死の祐樹を見て、その彼女自ら無理心中を図る。これはまさにタナトス(死)によって、エロス(生)を手に入れる瞬間と言えるだろう。つまり、そのポエジーさと池田という男の不合理な呼びかけとが混じり合うことで、この『べー。』という映画は、無意識の感覚へと向かって、普遍的な価値を持っていくのだ。

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