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【ネタバレ感想】『15時17分、パリ行き』評 潜在的な意識という超能力

15時17分発、パリ北駅行きの列車内…

 

テロリストのアイユーブは自動小銃を構えた。

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その銃口に向かって走り出したのは、空軍のEMT(救急救命士)スペンサー・ストーンだった。

 

アイユーブは引き金を引く。

しかし、銃弾は発砲されない。なぜなら”偶然にも”空砲だったからだ。そして、スペンサーは親友の2人と彼を取り押さえる事に成功した。つまり、テロを未然に防いだのである。(乗客のマーク・ムーガリアンは、アイユーブに撃たれ、重症を負ってしまったが)

 

”偶然にも”?

 

なぜ、アイユーブはテロを計画していたにも関わらず、装填不備という致命的なミスを犯したのだろうか?

 

  • 映画という偶然

映画は偶然を作れる。当たり前だが、それはフィクションであるからだ。例えば、10階建てのビルから転落したが、奇跡的に無傷だった。財布を拾ったら持ち主が石油王で、死後に財産を全額相続した。恋愛映画に於ける、運命の相手なんかもそうだろう。故に、良く言われるのは「ご都合主義」というもの。映画は偶然であるからこそ、都合がいいものなのだ。

 

しかし、『15時17分、パリ行き』は実話である。

フィクションではないのにも関わらず、アイユーブの自動小銃は”偶然にも”空砲だったのだ。これはあまりにも「ご都合主義」的であると読める。

 

つまり、この実話は何よりも”映画的”である。「ご都合主義」のような偶然が、現実に起きてしまっているのだから。そして、スペンサーらは結果として英雄にもなった。

 

そんなヒーローを題材とした映画を多く手掛けてきた監督クリント・イーストウッドはこう言う。

 

私はこれまでヒーローについての映画をたくさん作ってきたが、ほとんどがすでに存在しない人物の物語だった。あの時、彼らは何を考えていたのか、どれほど危機的な状況だったのか、全ては想像するだけだ。(中略:パリ同時多発テロ事件を踏まえ)自動小銃を手にした男が路上で座り込んでいた女性の頭に銃を突きつけ引き金を引いたんだ。でも弾は出なかった。彼女はすぐに起き上がり走り去った。その映像を目にした時、どうして銃から弾が出なかったのか?としばらく考えてみた。たとえ弾が出なくても、恐怖で立ち上がれなくなったり走れないこともあるだろう。では何が彼女にそうさせたのかと言えば、私たちの中にあるもうひとつの能力だと思う。潜在的な意識が体を動かし、自分の命を救うんだ。 

 

彼は「偶然にも空砲だった」という事の理由を、「潜在的な意識という能力」だと言ったのだ。つまり、アイユーブが装填不備という致命的なミスを犯したのではなく、スペンサーの潜在的な意識という能力がそうさせたということである。

 

なんということか。

スペンサーの銃口へと走って向かった直感的行動が、アイユーブの計画的行動を止めてしまったのだ!

 

『15時17分、パリ行き』は大したことが起こらない。

驚くほどに普通である。

しかし、震えるほど泣いた。

 

『15時17分、パリ行き』は、”スペンサーの銃口へと走って向かった直感的行動”、つまり「潜在的な意識という能力」の論理を描く。潜在的な意識であるからこそ、子ども時代の回想シーンが多い。「人を守りたい」との一心で軍人を目指したスペンサー。病気で夢破れても、落第しても、その潜在的な意識が彼を直感的に行動させるのだ。

 

そして、走る。それは彼だけの紛れもない超能力だ。

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あくまで実話。実話でしかない。

しかし、時に実話という現実が映画を超越する場合がある。当事者が当事者を演じるということで、その強度はより一層増していく。この完全なるものは、クリント・イーストウッドも熱心に支持する(TMと呼ばれる)瞑想的体験に近い。

 

この人生、驚くほどに普通。大したことは起こらない。でも何が起こるかなんて分からない。皆の、それぞれの潜在的な意識によって、いつの日か空だって飛べる!金持ちになれる!運命の人に出会える!我々はBelieverなのだから。